「人は城…」
戦国時代、「人は城、人は石垣……」と言ったのは武田信玄。戦国大名の家を守るのは、城でも石垣でもなく、「人」=「人材」であると。実際に信玄は、甲斐の国に城というほどの城は構えていなかった。住んだのは城ではなく、館だった。城はなくても、敵が国内に侵攻できないほどに兵が強く、もっぱら領域外で戦いを収めていたのである。
経営者は、誤解を恐れずに言えば、戦国時代の大名。大きな権限があり、社員は、その判断が誤っていると思っていても、最終的には従わざるを得ない。生活の糧である給与を会社に握られているから致し方ないともいえるが、社員が社長の言うことを聞かなければ、会社経営はそもそも成り立たない。
とはいえ、誤った経営判断を時に正してくれるような人を育てるのも平時における社長の仕事である。しかし、創業から、つい最近まで、私には、人が何を考えているか、どのようにしてもらいたいと思っているのか、を配慮する余裕がなかった。社長としては、失格である。
組織を作り、経営者としての初めての経験を積み重ねていくのが創業期。倒産の危険性が一番高いといわれるこの時期の13年余りを、何とか乗り切ってこられたのは、支えてくれた社員のお陰である。ただ、弊社に期待をして、就職してくれたものの、嫌な思いをして去っていった社員もいるだろう。
龍の瞳Ⓡの原種を発見した2000年当時、私には仲の良い年上の友人がいた。彼は龍の瞳Ⓡの将来に、重要な働きをしてくれた。仮にMさんとしておこう。
彼の一番の功績は、龍の瞳Ⓡという商標としての商品名と、「いのちの壱」という品種としての登録名を分けた方が良いと提案をしてくれたことである。彼がいなければ、おそらく、商標は取らずに、品種名だけを登録していただろう。登録品種の種苗権は25年で切れてしまうが、商標権は永久に続く。従って両方を抑えておく意味は非常に大きかった。
当時、農産物のブランドでも、商標を取得している例はほとんど無かった。もちろんブランド化していかなければ、商標を取得することは無意味である。
当時は、お米で言うと、例えば「魚沼コシヒカリ」のように、地域ブランドであることを意識して名付けられる例がほとんどで、地域に限定されない商品名が米のブランドとして認められるようになるのは、龍の瞳Ⓡがおそらく初めてだろう。
人材に対して、あえて「人財」という当て字を使う人がいる。会社の大切な「財産」としてその人の価値を認め、会社として厚遇しようという思いからである。適材適所で能力を発揮してもらうという意味での人材とは、力点がやや異なる。力量に見合う処遇を受けられるからこそ、本人も努力の甲斐があるというもの。
しかし、いろいろな齟齬(そご)が生じて、退職後に会社の悪口を言われ、会社に大きなダメージとなったこともある。社員とはコミュニケーションを十分に取り、考え方の違いがあれば、じっくりと話し合う必要性があったのだ。それをしないまま、人財をなくしてしまったことが、いまになって悔やまれるのである。
件のMさんは、かなり強引なところもあった。自分の意見を押し通した挙句に、結果として会社に不利益をもたらすこともあった。もちろんすべては私の責任であり、的確な判断基準と能力を持ち合わせていなかった。
今、私は社員に、「給料をたくさん出したい。そのためにスキルを高めて欲しい」と話している。言い換えれば、人材としての個性と力を大いに発揮して成長し、会社にとってより価値のある人財になってほしいと願っている。
実は冒頭の信玄の言葉にはもう少し続きがある。「人は石垣」の後に「人は堀」が出てきて、さらに「情けは味方、仇(あだ)は敵なり」と結ばれるのである。恨みや悪意ではなく、情をもって人に接しなさいということである。
「龍の瞳に就職しているなんて、羨ましい」と地域で言われる会社になって欲しい」とはMさんの談。彼は昨年、鬼籍に入り、会うことはできなくなった。
愚作